第一章 『田園に死す』を読み解く
第一節 歌集から映画へ
映画『田園に死す』は、1965年発行の同名の歌集を原作としている。歌集は、我が一家族の歴史「恐山和讃」と、恐山、犬神、子守唄、山姥、家出節、新・病草草紙、新・餓鬼草紙の七章からなる。それぞれの章はさらに小さなテーマで分けられており、短歌の他にも戯れ歌、草紙の類も含まれている。各章の題名からして、寺山が繰り返し描いてきたテーマを読み取ることができる。物語のモチーフは歌集全体から取られているが、実際に作中で朗読されている歌は十三首。「恐山和讃」も劇中歌として使われている。ちなみに歌集と映画とでは、いくらか内容が異なっている歌がある。
Dの歌は、「もはやわれと」が「われとわが」に、Hの歌は、「なけよとやまの」が「なけよ下北」に、Iは、「鬼とかれざるまま老いて」が「鬼のままにて老いたれば」に、Jの歌は、「亡き母」が「亡き父」に変えられている。Cの歌に至っては、ほぼ映画のオリジナルである。寺山は同じモチーフをシチュエーションによって微妙な変更を加えて使うことをよくやっているが、この場合も、映画の内容にあわせて改作したのだろう。登場順序は次のとおりで、下に付したのが、歌集での小題である。短歌の内容とそれが朗読される場面の映像のイメージは一致しないので、無作為に全篇に散りばめられていると考えていいだろう。また、必ずしも全ての短歌が、言葉の通りに映像化されているわけではない。
@大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ(恐山・少年時代)
A新しき仏壇買いに行きしまま行方不明のおとうとと鳥(同上)
Bほどかれて少女の髪に結ばれし葬儀の花の花言葉かな(恐山・悪霊とその他の観察)
C亡き母の真っ赤な櫛を埋めに行く恐山には風吹くばかり(?)
D針箱に針老ゆるなりわれとわが母との仲を縫い閉じもせず(山姥・発狂詩集)
Eたった一つの嫁入り道具の仏壇を義眼のうつるまで磨くなり(恐山・悪霊とその他の観察)
F濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華あかきを何の生贄とせむ(犬神・寺山セツの伝記)
G見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし(犬神・法医学)
Hとんびの子なけよ下北かねたたき姥捨て以前の母眠らしむ(山姥・むがしこ)
Iかくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰をさがしにくる村祭り(子守唄・捨子海峡)
J亡き父の位牌の裏のわが指紋さみしくほぐれゆく夜ならむ(犬神・寺山セツの伝記)
K吸いさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず(子守唄・暴に与ふる書)
L売りにゆく柱時計がふいになる横抱きにして枯野ゆくとき(恐山・少年時代)
@の歌には青森のものとおぼしき地名が羅列されている。『日本分県地図地名総覧』(人文社)によると、これらの地名は実在するが、一ヶ所ではなくあちこちに点在している。弘前市には元寺町、元大工町、八戸市には大工町、黒石市には後大工町、五所川原市には寺町、百石町には大工町、大間町には寺町、仏町、風間浦村には寺町、鯵ヶ沢町には米町、仏町という町がある。青森には職業名が地名になっているところが多く、そのほかにも桶屋町、鍛冶町、紙漉町、鉄砲町、漁師町といったものがある。これらの町と寺山が住んでいた所は一致しないので、具体的にどこかの地名を指している訳ではないようだ。「コメマチ、テラマチ、ホトケマチ」という言葉の響きやイメージの羅列といったものの方が計算されている。大工、寺、米、仏を扱う町はあるのに、老母を商品にしている町はない、いらない母を引き取ってくれる町はない、ということだろう。母を捨てたい少年の心情が表現されている。「つばめよ」という結びはそこまでの世界と結びついてこない。少年の解けない疑問を、人ならざるものに問いかけているのだろうか。具体的な映像化はなされていない。
寺山の短歌には非常に視覚的なイメージをもったものが多く、映画に影響されたと思われるものもある。Gの歌などは、ルイス・ブニュエルの映画『アンダルシアの犬』(1928年)の冒頭の、月下のバルコニーで女の眼球を剃刀で切り裂くシーンから想起したものだろう。『田園に死す』にはこのようなシーンは出てこないが、反語的に、切り裂かれる前の状態の(本来瞼がある部分がふさがっている)目がない男が、郵便配達夫として出てくる。寺山は「瞼は最も小さいスクリーンである」というようなことも言っているので、ラストシーンの舞台崩しなど、映画の世界観の破壊といういわば「スクリーンを切り裂く行為」で、作品そのものに体現されているのかもしれない。
短歌と映像との対応が最もはっきりとわかるのが、Iの歌であろう。映画の冒頭、真っ暗な画面に@とAの和歌がスーパーインポーズされ、音読される。ゆっくりと溶明していくと、墓場でおかっぱの女の子が正面を向いて、「もういいかい」の目隠しをしている。今までの暗闇は、「かくれんぼ」の鬼になった少女の、目隠しの手の中の暗闇でもあったことがわかる。そして子供たちが墓石の影に隠れ、「もういいよ」の声とともに再び出てきたときには、みな大人になっているのである。かくれんぼでは、探す方は目隠しで世界を覆うし、探される方もどこかの陰に隠れて、世界から遮断される。その世界から隔離されているわずかな間に世界が変貌してしまうかもしれない、という少年(少女)の恐怖が表わされている。場所が墓場に変えられているのは、「永遠に隠れてしまった」という死のイメージからだろうか。短歌の「誰をさがしにくる村祭り」というくだりとは、かなりイメージが異なる。
Iの歌は他の作品でも何度か使われたことがある。そのひとつに、「納屋の藁の中に隠れて、うとうとと眠ってしまい、ふと目を覚ますと外は冬(あるいはお祭り)である。外に出ると友人たちはみんな大人になっていて「まだ隠れていたのかい」と哄いだす」、という鬼と探される側の立場が逆になっている挿話がある。どちらのイメージとも、片方は子供のままなので、短歌の内容とは矛盾してしまう。短歌の内容を言葉通りの形で描いているものには、童話集『赤糸で縫い閉じられた物語』所収の「かくれんぼの塔」という老人の話がある。かくれんぼの鬼になれば、自分が相手を見つけるまでは、相手は隠れたままずっと鬼である自分のことだけを考え、自分だけを待ってくれるので、ひとりぼっちにならないために、この老人はわざと相手を探しに行かない。そしてそのまま歳をとって老人になり、もう七十年もかくれんぼの鬼をやっているのである。みんなは隠れたときの子供のままでいるのに、鬼だけが年をとって老人になる。「いつでも、年を取るのは鬼ばかり」とこの話は結ばれている。探される側は、どんどん新たな時を生きていくのに、探す側だけが、過去に縛られたまま空しく時を重ねて年老いていく。
小川太郎著『寺山修司〜その知られざる青春』によると、少年時代の寺山は、自伝に描かれているガキ大将ではなく、どちらかというといじめられっこだったらしい。かくれんぼでも、いつも鬼にされることが多かったそうで、Iの歌には寺山の少年時代の思い出が表されているといってもいいだろう。置いてきぼりにされて、友達たちはみんな帰ってしまった。それでも鬼の自分はいつまでも探しつづけている、そんな光景も浮かんでくる。かくれんぼは、いなくなってしまった誰かを探す遊びである。そこには、自分を置いていなくなってしまった不在の両親―戦死した父と、出稼ぎに行った母―を捜し求める気持ちも反映されているのかもしれない。
寺山は「手相直し」というエッセイにおいて、「生命線ひそかに変えむためにわが抽出しにある一本の釘」という歌とLの二首について触れている。それによると寺山は、幼いころから自分の生命線の短いのを気にしていてた。何とか引き伸ばそうと、血まみれになりながら釘を突き立ててみたが、すぐに治って元通りになってしまった。ある日、隣村にいるという「手相直し」のおじさんに会いに行こうと思い立ちった。謝礼に五百円取られると聞いて、家の柱時計を質屋に持っていってその金を作ろうとしたのだという。
こんな体験が実際にあったとは思えない。むしろこれらの短歌をイメージする中で「過去を作り変えた」のだろう。映画『田園に死す』の中には、少年の母が柱時計を抱いて恐山を降りてくると、恐山の稜線に、十数人の少年の幻達が、同じように柱時計を抱いて現われる、というシーンがある。このシーンの間、柱時計の音が幻聴のように鳴り響いている。Lの歌を「売りにゆく」という部分を除いた形で映像化したのだろう。
劇中には、一度破いた後、糸で縫い合わされた母親の写真がたびたび出てくる。直接的な対応ではないが、これはDの歌のイメージと重なる。捨てようとしても捨てきれない、憎もうとしても憎みきれない、屈折した母親への感情が感じられる。この「縫い閉じる」というフレーズを寺山は好んで使った。歌集『田園に死す』に「地平線縫い閉ぢむため針箱に姉がかくしておきし絹針」という歌があるほか、「瞼を赤糸で縫い閉じる」というイメージも多く使われる。これはロートレアモンの『マルドロールの歌』の第二の歌の「あるいはまた、一本の針でお前の瞼を縫い合わせ、世界の風景を奪い去り、自分の途を見出すこともできなくしちまうかも知れぬ」というフレーズからきているようだ。これはGの歌の見るために切り裂くのと相反するイメージでもある。「もっとよく見るためには瞼を切り裂かねばならない」と言う一方で、「見えないものを見るためには、もっと暗闇を!」とも寺山は言っている。
劇中の母親が、ことあるごとに念入りに仏壇を磨きあげ、まるで死んだ父親の身代わりであるかのように扱っているのは、Eの歌から浮かんでくるイメージだろう。ただし、母は義眼ではないし、仏壇が嫁入り道具なのかも語られない。歌集『田園に死す』には、この他にも「義肢県灰郡入れ歯村」、「義肢村の義肢となる木に」、「弟の義肢つくらむと」といったフレーズが出てくるが、映画ではこれらの機械身体のイメージは出てこない。仏壇はこの他にも、湖の浜辺や道の真中などに配置されていたり、仏壇売りに背負われて来たりと、さまざまな現われ方をする。
映画の中で少年時代の私が、眠っている母のそばを通って家出していくシーンはHの歌の後半のイメージである。前半部分のようにとんびが出てくる様子はないが、たびたびカラスが飛び、鳴き声を上げるシーンが出てくる。これがイメージ的に重なっており、恐山の地獄のような雰囲気に合わせてカラスに変えて映像化したのではないだろうか。実際に訪れたときも、恐山には、お供え物を狙って多くのカラスが飛んでいた。「なけよとやまの」が「なけよ下北」と変えられたのも、恐山という場所を意識させるためだろう。
Cの歌と同じものは歌集にはなく、よく似た歌として「亡き母の真っ赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり」と、「売られ行く夜の冬田に一人来て埋め行く母の真っ赤な櫛を」というのがある。劇中で隣の人妻の化鳥が少年に語る、「私は、真夜中にそっと起き出して、売られてしまった夜の冬田に死んだ母さんの真っ赤な櫛を埋めた」という話は、この後者の方の映像化といえる。挿入された歌では、この二つを融合し、恐山のイメージを加えたのだろう。母の櫛を埋めるのは田を手放すことへのせめてもの抵抗だが、映画の中ではこのイメージは無限に増殖されていく。真っ赤な櫛は夜になると歌を歌い、村中の田という田から真っ赤な櫛が百も二百も出てくるようになるのである。
Jは亡き母を歌った「寺山セツの伝記」と題された10首の中の一つだが、「寺山セツ」というのは寺山の母ハツと一字違いで、映画の中の母役の名も「セツ」となっている。現実の寺山の母も、映画の主人公の母も死んではいない。そのためか、映画では父の歌に読み替えられて使われている。具体的な形では映像化されておらず、母の仏壇磨きや、イタコに降りてきた亡き父に家出の相談をするような、少年の亡き父への心情に反映されているのだろう。
Fは劇中の赤ん坊を間引きするシーンと、Kは追われている共産党の男が煙草を吸う姿とイメージ的に結びつけることもできるが、具体的に対応するシーンはない。A、Bも同様である。
これらの『田園に死す』の短歌が引用されるのは、何もこの映画だけではない。時にはいくらかの変更を加えたり、異なったエピソードを使ったりしながら、エッセイ・演劇・ラジオドラマなどあちこちで引用される。
第二節 虚構化される故郷
『田園に死す』が製作された1974年は、実験映画『ローラ』、『蝶服記』、『青少年のための映画入門』などが製作されたが、その他の分野では目立った活動はない。演劇活動の方では71〜72年に『邪宗門』が上演されて、『青森県のせむし男』、『犬神』、『花札伝奇』などの初期の土俗的なテーマの一応の集大成となり、より実験的なものへと移行してきた時期だった。この年の公演は『盲人書簡』のみであり、翌年の社会的事件となった三十時間市街劇『ノック』へとつながっていく。
1999年の夏、私はこの映画の舞台の青森の恐山を訪れて、一泊した。この映画の少年が山道を登っていくシーンなどを見ていると、恐山が人の居住地のすぐ近くにあり、地獄のような景色が延々と広がっているような場所に思われるが、現実の恐山はそうではない。人里からバスで40分も掛かるところに、陸の孤島のようにしてあり、気軽に歩いていけるような場所ではない。実際に、この少年と同じ気持ちを味わおうと徒歩で行ってみたら、最後に民家があった場所から3時間半もかかった。そこに至る道もうっそうとした森が広がっており、岩がごろごろしている荒野は恐山の周辺のわずかな部分だけだった。また、硫黄が沸いて現実離れした景色が広がっているのは事実だが、夏だったこともあってか、美しい緑の森と湖に面した恐山は、地獄よりも極楽のようなイメージだった。映画の中で描かれるのは、おどろおどろしさを強調された、寺山自身の心の中にしかない幻想の恐山である。ただ風車があちこちに立てられているのは事実で、恐山や道中にあった地蔵のまわりなどにあるのを目撃した。これは私の勝手な推測だが、東北という寒い地では、花の咲く期間は短く、お供えしてもすぐ枯れてしまうので、代わりに美しい色の風車を供えるのではないだろうか。花を散らしてしまう強い風も、風車にとっては、回すことでより美しく見せる方に働く。この風車も映画の中では、村の中や田んぼの中などに場所を拡大され、無数に配置されることで、その幻想性をはるかに強調されている。
恐山での夜の食事の席で、「ほろほろと鳴く山鳥の声きけば、父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」という言葉をお坊さんが紹介していた。お坊さんによると、「今夜は、賽の河原にご先祖様が降りてきます。この歌を心に留めておいてください。供養を願っていれば、夢の中に死んだ人が会いにきてくれます」ということだった。
寺山の作品でもたびたび使われるこのフレーズが青森に根付いたものであるのは、本当のことだったらしい。寺山の体験では、これは田舎芝居の「石童丸」の一節で、ストーリーは「父をたずねて高野山にのぼった石童丸が、意を果たせぬままに帰ってきてみると、たった一人の母が死んでしまっている」というものだった。この芝居は三度観て、やがてさわりの部分を口ずさめるようになったという。母と離れ離れに暮らしていた寺山は、いつもクライマックスの部分で泣いてしまったそうだ。遠く離れたところにいて会えない寂しさは、生者に対しても死者に対しても同じだろう。
恐山では、確かに生者と死者が共に存在しているような雰囲気があった。宿を取っているのも、死者に出会えること、死者の冥福を心から願っている感じの巡礼の人々ばかりで、観光目的は私だけのようだった。寺山修司は、故郷にいた頃は意識しなかったこの場所に来て、自分の原点となるイメージを発見したに違いない。
実際に寺山が恐山の近く(むつ市)に暮らしていたことはない。青森に暮らしていたころの寺山修司は、自伝『誰か故郷を思わざる』にあるように、米軍基地のある三沢に住んでいたほか、大部分の年月は青森市の親戚のやっている映画館に下宿しており、そこにあるのは映画で描かれているような農村的・土俗的なイメージとは程遠い。自分の故郷に対する関心が高まっていったのは、東京に出てからのことである。これはいわば当然のことだろう。「ふるさとは遠きにありて思うもの」と言う言葉を寺山は好んで使ったが、一生を生地で終えるものは、故郷という存在の意味を知ることはないだろう。外部に出ない限り、自分が内部にいたと気づくことはない。東京に出てさまざまな価値観に触れる中で、故郷がどういった場所だったのか、自分とは何者なのかを改めて強く意識したのだろう。そして「自分を形作ったルーツとなるものは何なのか」を問い直す中で、新たな故郷の姿を作り上げていったのだ。
青森を舞台とした土俗的なテーマが出来上がっていった直接的な契機は、1962年に帰郷して恐山に登ったことだと思われる。その後に一気に書き上げた作品がラジオドラマ『恐山』である。『田園に死す』という言葉が最初に出てきたのは、この年に連載していたエッセイ『家出のすすめ』の章題としてが最初である。また同年寺山が脚本を書いたテレビドラマのタイトルとしても使われた。このテレビドラマは青森を舞台にしていて、「青年と人妻が汽車に乗って東京に駆け落ちしようとする」、「田には母の真っ赤な櫛が埋めてある」、「嫁入り道具の仏壇」といった映画につながるイメージが出て来るものの、映画との共通性は少ない。土俗的なイメージを持った作品群への途上の作品と言った感じを受ける。「私的自叙伝」によると、翌63年から自分の生い立ちについて書き始め、二年がかりで叙事詩『地獄篇』を書き、短歌の部分だけが65年に歌集『田園に死す』として出版された。
第三節 『田園に死す』の中の故郷像
この映画では、寺山の故郷へのイメージ、いわば脚色された記憶が、自由に実体化して現われる。黒い角巻の老婆の群は、正面から対峙することなく、裏から陰口をたたく地域社会の陰湿さを象徴するものだろう。サーカスの天幕小屋の中で蛇使いの女と黒メガネの男が全裸で絡み合っているのを見て、「地獄だ」と叫んで逃げ出すシーンは、「父が出征の夜、母ともつれ合って、布団からはみ出させた四本の足、赤い襦袢、20ワットの裸電球のお月様の下でありありと目撃した生のイメージ」が「私の少年時代の地獄」の一つだったという体験を移し変えたもののようだ。恐山には、花を食わえた巫女が踊り狂い、血のような真っ赤な色に染まった湖で男がコントラバスを弾いている、悪夢のような光景が広がっている。演出ノートにおいて、「「家」の中に、外部の光景、津軽海峡や恐山を持ち込み、荒涼とした土地、田園に仏壇や鏡台のような家具を持ち出す、という内外の倒錯を考え出した」とあるように、ここでは故郷の家、家具、故郷の景色、空想の中でした体験と実体験など、過去の記憶に存在する全てのものが渾然一体となっている。だから「少年倶楽部」の中に出てきた「鞍馬天狗」などの架空のキャラクターも、現実の人間と同じように現われるのだ。ストーリーと関係なく出てくる個性的な人物の多くも、記憶に存在するさまざまな「物」あるいは「風景」のひとつに過ぎず、俳優も美術や小道具と同格の存在になってしまっている。
この映画の中では時間の流れもゆがんでいる。少年時代の私と現代の私は二十年の時間を自由に行き来するし、この二人が将棋を指しているわずかの間に、草衣は村から出奔して東京へいき、モダンになって帰ってくる。修学旅行の少年たちの一団は、三途の川の橋を渡り、戻ってくる頃には老人になっているし、理髪店で散髪をされる少年は終わる頃には大人になっている。二十年間の時の流れもまた、渾然一体に溶けあっている。
寺山は演出ノートにおいて、「これは一人の青年の自叙伝の形式を借りた虚構である。われわれは歴史の呪縛から解放されるためには、何よりもまず、個の記憶から自由にならなければならない。この映画では、一人の青年の「記憶の修正の試み」を通して、彼自身のアイデンティティの所在を追及しようとするものである」と言っている。これは「書き換えの効かない過去なんてないんだ」と言って、自分の実人生を虚構化しつづけた寺山自身の姿を、さらにもう一つの虚構の枠組みを使って描こうとしたものと言えるだろう。映画的リアリズムの現実原則に乗っ取っておらず、目指されているのはあくまで天井桟敷の劇的な世界である。
シナリオを読むと一人一人に個性的な名前がつけられていて驚くのだが、劇中でしっかりと名前が呼ばれるのは「私」の少年時代の「新ちゃん」という呼び名のみである。それは、母親が子供に対して執拗なまでに語りかけるのに比べ、他の人物の間でコミュニケーションが希薄だからかもしれない。少年は化鳥に対して憧れ以上の気持ちを持たないし、草衣が出産し間引きするのにもたいした関心を持たない。村人たちは土俗的な共同体の一員として、そのありようを示す以上の個人的なことはしないし、サーカスの人々は存在自体が虚構化されているので、そもそも名前が意味を持たない。この映画で最も長く一対一のコミュニケーションが行われるのは、「私」と少年時代の「私」の間なのである。
「演劇では、誰かに名を呼ばれるまでは登場人物は何者でもない」という誰かの言葉がある。寺山も戯曲「青ひげ公の城」や映画「上海異人娼館」の中で、「あなたは誰ですか」と問われた俳優志望の少女に「誰でもありません、まだ。これから、なるんです」と答えさせている。『田園に死す』にも「役場の戸籍係が戸籍原本を持って行方不明になったので、自分が誰だかわからなくなってしまった人が出ている」というエピソードが出てくるが、名前はあくまでも便宜的に決められた記号に過ぎず、登場人物は事象として捉えられている。噂話をする角巻の婆達、父無し子を間引きした女、美しい隣の花嫁という風に、である。
映画「書を捨てよ町へ出よう」は逆のパターンで、劇中では名前が呼ばれるのに、シナリオでは「私」「彼」などとなっていて、ラストシーンでは、スタッフロールがなく、代わりにスタッフ・役者全員の顔が映し出されていく。顔こそがその人なのだということだろう。
映画『さらば箱舟』に出てきた記憶喪失の男は、身の回りのもの全てに、その名前を書いた手紙を貼っていく。そのうちに、名前だけでなくそれが何のためのものなのかも忘れてしまい、一つの問いかけがなされる。「いくら書いても、そのうちに文字を忘れるときが来るぞ……何一つ読めなくなる日がやってくる」と。名前も用途も忘れ去られたときにこそ、そのものの本質が一体何であるのかが改めて問われるのである。
この映画に全編にわたって蔓延し、その世界観を縛っているのものに、あまりにも強烈な母親のイメージがある。母親が畳をめくるとその下に荒涼とした恐山が広がっている光景からして、全てが母がいる家の中での悪夢であるかのような雰囲気がある。寺山はエッセイ集『さかさま世界史・英雄伝』の中で古代ローマの暴君ネロについて「ネロにとってのローマ帝国は、アグリッピナの胎内の中にしか存在しなかった」と書いているが、この映画はまさしくそのイメージを持った、母の掌の上での物語、胎内めぐりの物語と言えるだろう。一貫して表れる「赤(血)」のイメージも、犯されたセーラー服の女学生の足から流れ出す血、忌中と書かれた紙や母の櫛から滲み出て来る血、冬田に埋められる真っ赤な櫛、間引きの場面で流れてくる雛壇など、女の業を意識させるものが多い。特に真っ赤に染まった宇曽利山湖から私が感じ取ったのは、母の生理の地で真っ赤に染まった便器を見てしまったときのような、言いようのない嫌悪感だった。
胎内巡りというイメージと重なるが、この映画は多重に入れ子構造をもった映画であることが、ストーリーの進展にしたがって明らかになる。過去の虚構化を行いつつ、常にその虚構を暴く視点を挿入する。主人公の少年は、母親を捨て、隣の人妻と汽車に乗って駆け落ちしようとする。これが第一のレベル。しかしそのとき、実はそれまで語られていた物語が実は真の主人公である「私」の少年時代を描いた映画だったことが判明する。そして「私」が「田園の風景は、あんなにこぎれいなものではなかった(中略)私の少年時代は私の嘘だった」と叫ぶにいたり、それまでの物語は虚構として暴かれる。これが第二のレベル。しかし、「私」が自分の過去を作り変えるために、少年時代の世界に入り込んでいくにいたって、虚構のレベルは曖昧になっていく。「私」は結局母を殺すことができず、少年時代の自分の家で一緒に飯を食うことになる。すると突然家のセットが崩れ落ち、現実の新宿の街が現われる。ここで再び虚構性が暴かれ、第三のレベルとして現実の風景が映し出されるわけだが、登場人物たちが新宿の雑踏に(寺山の市街劇さながらに)紛れ込んでいくことで、現実と虚構、過去と現在が互いに溶け合っていく。そしてすべてが真っ白に消えていく中で映画は終わる。
たとえるなら夢野久作の『ドグラ・マグラ』における「胎児の夢」のような世界だ。虚構の外にはまた虚構の世界、生まれ出たつもりでもすべては胎内の中の幻想に過ぎない。そんな虚構地獄、母地獄の世界。それは最後のシーンで本物の現実の街さえ侵蝕していくのだ。
第四節 置換不能なイメージ
寺山修司の映画には、他のものでは置き換えの効かない、頭の中のイメージをそのまま映像化したような場面が、たびたび現われてくる。『田園に死す』で最も印象的なのは、子供を間引きすると、川の上流から雛壇が流れてくるシーンであろう。ト書きでは以下のようになっている。
〈草衣、赤ん坊を抱いて川のほとりに立っている。しばらく迷っているが、思い切って赤ん坊を包みに来るんで川に流し捨てる。泣きながら流れていく赤ん坊。大声で叫び、目を覆う草衣。やがて、赤ん坊を追って転ぶように川の中に入っていく。川の上流から、赤いモウセンに乗ったお雛様のセットが華やかに流れてくる。〉
殺された子供は父無し子の女の子で、痣があったため犬神憑きだということで村人に殺すように強要される。流れてくる雛壇は、生きるはずだった人生へのはなむけだろう。だが、単なる哀しい間引きの場面に終わらない不気味さを持っているのは、赤ん坊が本物の赤ん坊や可愛い人形を使って描かれていないことだ。赤ん坊ははっきりと正面から写されることはないが、焼け焦げた人形が使われている。その様子は不気味なケロイド状の肉隗という感じで、村人たちの言い分が当たっている事を暗示する。それでも草衣はこの肉隗のような赤ん坊を可愛がり、必死で間引きから守ろうとする。寺山はフリークスを日常を祝祭的空間に変えてくれる存在として愛し、それを排除しようとするような閉鎖的な社会を憎んだ。その思いがこの場面に表れているのかもしれない。村の因習では痣があっただけで、犬神憑きとして排除されるが、劇中に登場するサーカス団のような別の価値観を持った世界では、それ以上の畸形児たちが人気者になっているのだ。このシーンの間、醜いせむし娘(これもフリークス)の姿に扮した蘭妖子が「惜春鳥」を歌い、哀感を高める。
〈姉が血を吐く 妹が火吐く 謎の暗闇 壜を吐く 壜の中身の 三日月青く 指で触れば 身も細る 一人地獄を さまようあなた 戸籍謄本ぬすまれて 血よりも赤き 花ふりながら 人の恨みを めじるしに 影をなくした 天文学は まっくらくらの 家なき子 銀の羊と うぐいす連れて あたしゃ死ぬまで あとつける〉
この歌の歌詞は意味として繋がるところは少なく、映像のイメージともそれほど一致しない。「一人地獄をさまよう」「戸籍謄本ぬすまれて」「家なき子」といった部分は父無し子を生むことで、村から疎外されてさまよっている草衣の姿と重なり、全体としては、女の不幸や阻害されたものの孤独を唄っているように思えないでもない。だが実は、この歌は西条八十の詩「トミノの地獄」を元にして作ったものらしい。寺山は『人生処方詩集』においてこの詩を紹介し、「魔術、手品、熊娘、ろくろ首、サーカス、花札、刺青、海賊船、中将湯、命の母、吃り、対人赤面恐怖症、法医学、地獄、人買い、人形、絵本。ああ、幼年時代!」という解説をつけている。自分の作品として作り変えたこの詩にしても、意味の繋がりを考えるより、幼年時代の記憶のイメージのコラージュとして読み取った方がよいようだ。
第五節 関係づけられる作品群
この作品の虚構の多重構造によって造られている。これはたとえば、筒井康隆のSF小説『朝のガスパール』に類似している。この作品では、「まぼろしの遊撃隊」というコンピューターゲームの物語が第一のレベル、そのゲームで遊ぶ登場人物たちの物語が第二のレベル、これらを書き綴っている作者が喋る第三のレベルという風に、虚構が多重性を持って描かれている。この三つのレベルは、『田園に死す』の、嘘の少年時代、二十年後の私、新宿の実景の三つのレベルと重なり合う。小説のクライマックス、第一のレベルのゲームのキャラクターが、画面から飛び出して第二のレベルの世界で戦いをはじめる。そして三つのレベルの登場人物が一堂に会してパーティーを行う中で作品の幕が閉じられる。これらの虚構のレベルの突破も類似している。(もっとも複製芸術である以上、スクリーンに映し出された―あるいは文字として印刷された―瞬間に、すべては虚構の一部となってしまうのは避けられない。やはり寺山にとっての現実との壁を破るのは、市街劇であろう。)虚構の多重性、それはすなわち我々が現実だと思っているものの多重性ということになるが、これは最近のSFではある意味ありふれたテーマである。最近の作品ではアメリカ映画「マトリックス」(1999年)が、コンピュータによって与えられた現実そっくりの虚構の世界で生かされる人々を描いた。人間たちは虚構の世界から目覚め、現実世界でコンピュータとの戦いを始める。また、日本映画「アヴァロン」(2000年)では、仮想現実(バーチャルリアリティ)世界での戦争ゲームに熱中する近未来の人間が描かれた。主人公がその仮想現実の深淵へと進むと、そこのあったのは(我々映画館で映画を見ている人間がいる次元という意味での)「現実」の世界だったというあたりは、『田園に死す』に通じるところがある。その他にも、寺山の作品には、さまざまな機械が登場して人間とモノが同等に扱われたり、義眼・義手・義肢などが生身の肉体と入れ替えられたり(サイボーグ)、記憶が自由に書き換えられたり(サイバースペース)と、サイバーパンクSFの要素が多分に含まれているある。にもかかわらず、そういう印象があまり感じられないのは、おどろおどろしい世界に覆い隠されているからだろう。、近未来よりも前近代的な舞台を使い、有用性よりも存在そのものや呪術性に機械の主眼が置かれて、中世科学や錬金術と言った世界にとどまっている。
作品全体がフェリーニの『アマルコルド』と通底することがよく指摘されているが、個人的にはそれほど感じなかった。巨女願望という部分では、『田園に死す』の少年が空気女に頼まれて空気を入れてやるが、「全然駄目ね」といわれるシーンと、『アマルコルド』の主人公が大女のタバコ屋の女主人に胸をはだけて迫られるが、満足させられずに追い出されるシーンとは重なってくるし、そのほか、狂女、サーカス(見世物小屋)への愛着、空想癖といった部分も共通しているとはいえるが、これらはそれまでの寺山作品でも繰り返し描かれてきたモチーフであるし、年上の女性へのあこがれ、田園風景などと言った部分は、少年時代を描こうとすれば必ず出てくるものである。むしろその他のフェリーニ作品、『魂のジュリエッタ』における妄想のキャラクターが実体化して出てくるシーンや、人力飛行機での逃走、『そして船は行く』のラストの映画のセットを写して虚構性を暴いてしまうシーンなどの方に、寺山の映画の実験的な試みとの共通点を挙げることができるように思う。